気まぐれ日記 05年11月
05年10月はここ
11月2日(水)「またまた天王洲アイルへ出動・・・の風さん」
神奈川県某市まで出張したので、そこからまた天王洲アイルへ出動した。
「Net Rush」のエグゼブティブ名鑑に、京都大学の上野先生が出演されるからである。
現地に到着するまで、実に1時間40分も要した。自分の時もそうだったが、ビデオ撮影とはいえ緊張する。自分が出演するわけでもないのに、今日は緊張した。老婆心だったかもしれない。先生は、いつもの先生そのもので、朗らかで楽しい会話を繰り広げておられた。
せっかくスタジオまで出かけるので、用意してきたカラクリの参考文献と、運命的な出会いとなった『和算の歴史』(平山諦著 至文堂 昭和36年刊 320円)を先生や真咲なおこさんに見てもらった。『和算の歴史』との出会いが、拙作「円周率を計算した男」を誕生させたのである。ネットの古本屋で注文して、昨日入手したばかりのものである。
先生からは、番組の中で紹介されていた『数学入門辞典』を頂戴した。目の前で拝見しながら、帰ったら購入しなくては、と思っていたので、プレゼントされて恐縮してしまった。本当に先生というかもう恩師と呼ぼう、恩師はありがたい。私の書斎には高校以来の数学の本がちゃんと保管してあるが、この辞典1冊ですべてをカバーしてしまうのではないだろうか。
収録後、先生や真咲なおこさんらと別れて、品川駅へタクシーで向かった。
今日は、参考文献を1冊持って家を出てきたが、帰宅までに半分読み終えた。もっとも帰宅時刻は午前零時ちょっと前だった。
11月3日(木)「お父さん族の悲哀は風さんもの巻」
夕べの帰宅が遅く、就寝も非常に遅くなってしまったので、起きられるかな、と不安だった。そうしたら、案の定、寝坊してしまった。まず第一に、世の中が祝日のために、私以外の家族、誰も起き出して来ないのだ。ワイフも! おまけに、目覚まし時計が1時間以上も遅れていた。こいつは電池が弱っているせいか、突然遅れ出す。
開き直ったせいもあり、約2時間近く遅れて出社してしまった。
最近、会社の仕事は不調である。私ひとりのせいではなく、仕事そのものが大きな壁に直面しているからだ。
会社の仕事は大きく言って開発業務である。開発は明るくやらないといけないのだが、どうも頭が固いせいか、否定的なことを考えがちである。本業の小説家は、きわめて前向きで、否定的なことは一切考えないのだが・・・。
出社が遅れた分だけ残業して帰宅した。
今日は、ワイフと長女が名古屋の某ホテルへフランス料理のコースを食べに行っている。スポンサーは私。
夕食はコンビニ弁当で、私用のそれの包装紙に貼られた値段を見たら550円だった。
10時過ぎに最寄の駅まで迎えに行った。二人とも大満足で、予算として渡したお札2枚では足りなかったらしい。いつだって、お父さん族は妻子のために一人苦労することになっている。悲哀〜。
11月4日(金)「旅行出発前日のあわただしさ・・・の風さん」
うちには子供が3人いる。子供らが進級するに従い、PTAの役員が回ってくる。町内会の役員も同じだ。どれも最初はワイフから経験する。ワイフは小学校、中学校のPTA役員をやって、今は高校のPTAの役員だ。町内会の役員も既に経験済み。それを追いかけるようにして、私も小学校のPTAの役員、町内会の役員を歴任し、今年は中学校のPTAの役員である。うっかりすると来年は高校のPTAの役員が回ってくるかもしれない。
今日は、その中学校のPTA行事で、資源ごみ回収が午後からあるので、会社で昼食を摂ってすぐ帰宅した。
空は秋晴れで、日差しも強い。暑いほどの陽気だった。
最近ミッシェルのエンジンが好調で、運転が楽しい。韓国のリュウの歌を聴きながら快調に飛ばして帰宅した。
新聞、雑誌、ダンボール、古布、空きビン・空き缶類が大量に集まった。先生や子供たちの活躍で、気持ちよい陽気の中、作業は順調に進んだ。私も久しぶりに体を動かして気分が良かった。
夕方から頚椎症のために通っている病院へ行き、痛み止めの薬をもらってきた。これで、今日の午後は、やすらぎ休暇で半休となる。
明日からワイフと遊びに出かけるので、目一杯雑用を片付けた。
11月5日(土)「今年2度目のOFFの始まり・・・の風さん」
年中無休の小説家の風さんでも、たまには「OFF」の日を作る。万博ささしまサテライトへ遊びに行った日に次いで、今年2度目の「OFF」。ワイフと東京へ行った。
午前中に目指したのは、駒場にある東大だ。これは、今年「駒場に吹く風」と題して亡父の思い出をエッセイにしたので、そこへワイフを案内したのである。前回訪れなかった駒場野公園にある水田を見学し、ファカルティハウスのレストランでランチを食べた。これも亡父への供養になると思い、充実した時間を過ごすことができた。
いったんホテルにチェックインしてから、京葉線で舞浜を目指した。つまり、行き先はディズニーシーである。昨年に続いてのディズニーシーとなる。長女の厳命通り、スターライトパスポートが有効となる午後3時にゲートまでたどり着いて、私の責任分担は終わった気がした。これからは基本的にワイフの「OFF」である。
「怖いの乗るからね!」
ワイフは、やけに張り切っている。昨年、私は「センター・オブ・ジ・アース」に乗ることをかたくなに拒否したため、それを1年間根に持っていて、今年こそ、と執念を燃やしているのだ。
「今からは好きなように行動してくれ」
と私がうっかり口走ってしまったため、いきなり「センター・オブ・ジ・アース」のファスト・パスをゲットしに行くハメに。・・・でも、乗れるのは午後8時半からで、まだだいぶ先だった。
「じゃ、次、どこ行く?」
「アラビアンコーストのマジックランプシアター」
「やけに詳しいじゃない?」
「新幹線でお前が寝ている間に予習したんだ。それに、昨年、最後に時間切れで見られなかったろ?」
行ったら、80分待ちだった。アイスクリームを買って食べながら並んで待った。こういうことができるのがいい。愛知万博では「待ちながらモノを食べないでください」と小学生に対するような叱声が飛んでいた。
マジックランプシアターのマジシャンの語りが面白かった。ほとんどおとなでないと理解できないギャグばかりだったが(オヤジだなあ)。
「どうだ、面白かったろう?」
「ええ」
怖いアトラクションより、こういったヤツの方がいいだろう、という私の謎かけにも動じず、
「じゃ、次は、レイジングスピリッツに行くから」
「何それ?」
「360度ループコースター」
「□▲○*@¥???」
「大丈夫だって。私がついているから」
「ビール飲みたくなってきた〜」
しらふでジェットコースターになんか乗れるか?! ビールが飲めるのも、ディズニーシーの酔い・・・じゃなかった良い点だ。ビール、うまかった。
1時間後。
「ひゃあ〜、怖かったあ! 死ぬかと思ったぜ。真っ暗で周囲は何も見えなかったし」
「何言ってんの。あなた、ずっと下向いて目をつぶっていたくせに」
火と水のショーである「ブラヴィッシーモ」を見て感動し、ぎょうざドッグに舌鼓を打ち、時間があったので「海底2万マイル」に乗って、いよいよ「センター・オブ・ジ・アース」へ出撃。
ファストパスがあったので、スムーズに異様な形の乗り物に搭乗した。
きれいでカラフルな水晶の風景を楽しむゆとりなんてなかった。
複式呼吸で横隔膜を下げて、しっかり内臓を固定し、急降下。歯を食いしばり、両手に目一杯力が入る。
「うわー!」
数分後。
「外に飛び出して、夜景がきれいだったわ」
「知らん、そんなの」
「横見たら、あなた、また下向いているんですもの。ジェットコースターは楽しまなきゃ」
「はらわたが浮くような感じ、いやじゃないのか?」
「それが楽しいんじゃない」
「お前はビョーキだ」
そのあとの土産物売り場でのワイフもほとんどビョーキとしか思えなかった。まるで、この世で最後の買い物のようだった。
ホテルに戻ったのは、・・・もう何時だったか忘れた。
11月6日(日)「東京コンパニオン・・・じゃなかったモーターショー・・・の風さん」
昨日歩き過ぎて、朝から足が痛い。今日もたくさん歩くかと思うと起きられない。万歩計を持ってくればよかった。
今日は東京モーターショー見学。
昨日と違って空がどんよりしている。
幕張メッセに着いたのは正午少し前だった。いきなりビールとおにぎりで昼食。
いつもワイフとカッコいい車と可愛いコンパニオンを見て回るだけなのだが、今回はちょっと違った。何せ足が痛い。ゆっくり見て歩くゆとりがない。天気もあやしい。どんどん通過することに決めた。その代わり、初めて全館チェックに挑むことにした。
いつもは行かない部品。ここで今回一番可愛いと思われる女の子と遭遇した(と思っているのはこちらだけ)。そこでは二人の女の子が何かの体験コーナーの案内をしていたのだが、明らかに片方が抜群に可愛すぎて、そちらへカメラが集中していた。もう一人の女性に責任はない。しかし、気の毒にも誰もカメラを向けていない。だからと言って、私だけカメラを向けるのもわざとらしいので、やはりそんなことはしない。ということで、鳴海風もオヤジに変身して撮影したのが下の写真だ。
それから車の展示を見に行った。いやー、とてつもなく広い会場に、わんさと車が展示してある。コンパニオンもいっぱい。とってもしあわせな気分となる。こういうときでも、横からワイフのひじてつが飛んでこないところがすごいだろ、と自慢したくなる(なんだノロケか)。
どんどんクルマを見て、コンパニオンの写真を撮って、・・・疲れた。休憩。
ドライブシミュレータがあちこちにあったが、実車で、目の前のスクリーンにダートコースが映し出されるのを見ながら走るやつがすごかった。何しろ車体が宙に浮いていて、激しく揺れている。横から見ていると、何度もコースから外れそうになる。崖から落ちたり、壁に激突したり・・・。やりたかったが90分待ちだった。しかし、待てよ。他人がやっているのを見ると、子供はめちゃくちゃハンドル切っていて、けっこういいタイムを出しているが、慎重なおとなは全然だめ。やはりゲームか、これは。
中央ホールを見て(最新のPS2のソフトはたいしたことなかったな)、イベント館に入って懐かしのクルマを眺めて(ミッシェルもあったぞ)、ミニチュアカーを眺めて・・・いたら、外は雨! やっぱり東京雨男を返上することはできなかった。
11月10日(木)「久しぶりにマルチ人間・・・の風さん」
作家としての仕事をたくさん抱えている。それはとても幸運なことなので、今が頑張り時だと思って無理している。
某新聞社から書評の依頼があった。本は自分で選択してかまわないというのがうれしい点で、書名を回答したらオッケーが出た。それで、とにかく早く原稿を書き上げたくて、会社の昼休みにちゃちゃっとラフ原稿を書き、寝かせておいた。締め切りはまだ先だが、それを、昨夜仕上げてしまおうと着手したら、どうにも頭がボケていて、原稿がまとまらない。とうとう午前4時までかかってやっと形ができた(と思った)。すぐにメール送信した。
実は、明日の東京での仕事のために、今夜から前泊で出かけることになっていた。
昼間、ケータイでメールチェックすると、新聞社から原稿拝受のメールが来ていて、開いてみたら、行数が8行も多いので削って欲しいと書かれてあった。ボケの結果である。しまったと思ったがやるっきゃない。
しかし、私の予定では、既に次の原稿に取り掛かってなければいけなかった。「大衆文芸」用の短編である。これも書評と似ていて、先月のある休みの日に、拙速ではあっても36枚ほどの原稿を脱稿してあった。完成させるためには、ちゃんと史実をよく調べる必要があったので、どうしても史料を読む必要があったのだ。それで、夕方退社するとその足で、地元の図書館へ直行し、2冊の文献を借りてきた。
しかし、書評の原稿は完成させなければならない。帰宅してすぐ、原稿修正に着手。それをギリギリ完成させて、またメール送信。それから出張に出かけたのである。
行きの新幹線の中は貴重な読書タイムである。図書館から借りてきた本を読むと思ったら大間違いだ。別の参考史料を猛烈な勢いで読み出した。これは明日の夜、必要なものである。
新宿のホテルにチェックインしたのは、午後11時半だった。
11月11日(金)「出張帰りに売り込みが成功・・・の風さん」
寝坊したので、タクシーで目的地へ向かった。
会社の仕事は学会の講演聴講だった。非常に勉強になったし、楽しかった。
休憩時間中にケータイでメールチェックしたら、某新聞社から「文字と行数はバッチリ入りました」という連絡。これで、書評はとりあえず一段落したらしい。
夕方、仕事を終えてから東京駅へ直行した。すぐに帰宅するためではない。丸の内の改札口から外へ出た。
某出版社の編集者と打ち合わせを約束していたのである。
今年始めに売り込みをかけていた企画について、もう一度話をした。昨夜の新幹線の中で読みふけっていたのは、その関係の資料だった。雑談交じりで1時間ほど話をした結果、売り込みはほぼ成功した。
「とりあえずプロットを書いて送ってください」
ばんざーい!
帰りの新幹線のシートに身を沈めたが、ゆっくりしている余裕はなかった。
昨日の夕方、地元の図書館から借りた史料を読まねばならなかった。
11月14日(月)「短編にてこずる風さんの巻」
土日は短編の執筆に専念した。50枚以内にしようと思っていたが、書き進むにつれて、どんどん枚数が増えた。結局、昨夜まで全体の半分しか完成させることができず、週明けの今日は会社へ出なければならなかったが、午後から帰宅して執筆の続きをすることにした。なぜなら、明日が短編の締め切りだったからだ。
会社で昼食を摂って、昼休みに気になっている中の最小限の仕事をしてから退社した。
自宅へ着いたら、へとへとだった(笑)。そりゃそうだろ。だいぶ前からかなり無理している。
ワイフは買い物に出かけた。不吉な予感。多忙なワイフである。ウィークデーに私が自宅にいると、ワイフの留守番になってしまう。
1時間ばかりソファで仮眠することにして、うとうとしていたら、電話のベル・・・。
「もしもし」
「奥様はいらっしゃいますか」
「いま、出かけています」
「そうですか。それでは、帰られたら奥様へお伝えください。少々遅れましたが、誕生日おめでとうございます。**ジュエリーの@@です」
そんなことぐらいで電話かけてくるな!
執筆は、結局徹夜になってしまった。
11月15日(火)「爆睡、爆睡・・・の風さん」
明け方69枚の短編の印刷を終えて、7時37分発の電車に乗った。
名鉄特急の中でも、新幹線の中でも爆睡。
新宿で、知り合いのライターと落ち合って、M氏の自費出版原稿を見せながら、その校正作業依頼をした。新鷹会に関する文章がふんだんに出てくるので、私は序文を頼まれていたし(既に完成)、これから出版までお手伝いもすることにしていたのだ。
新鷹会の勉強会のため、代々木八幡へ行った。そこで伊東昌輝先生と、さっきの自費出版原稿について相談した。なかなか厳しいアドバイスをたくさん頂戴することになった。特に長谷川伸先生の未発表原稿に関しては、しっかり新鷹会でチェックしたいということだった。
それから、塩原温泉での勉強会の収支報告に基づく清算をし、今朝出来たばかりの短編原稿を提出した(とりあえず預かってもらったのであって、「大衆文芸」に掲載されるかどうか予断は許さない)。
勉強会が終わってから、2次会へは行かず、東京駅へ移動した。そのまま帰る予定ではない。友人とM氏の自費出版について相談するため。友人は自費出版のコーディネイトを何度も経験しているベテランである。
友人と会うまで少し時間があったので、久しぶりに八重洲ブックセンターを覗いたら、自分の本が全部揃っていた。すっげえ〜! まるで図書館だ(笑)。
友人とイタリアンでビールを飲みながら、やはり生原稿を見せながら自費出版の相談をした。この生原稿をテキストデータにしてから、完成原稿にするまでが、相当の仕事量になるから覚悟しろ、と言われた。普通はそれらは著者の仕事だが、本人がそれをやりぬく力がない場合は、私や新鷹会が代行するわけだが、半年以上の時間を見たほうがいいと言われた。
帰りの新幹線でも名鉄特急でも爆睡。
ほとんど終電近い電車で帰宅。
雑用をして就寝したのは午前2時。
11月16日(水)「新鷹会のお仕事・・・の風さん」
今日は朝から滋賀県に出張した。某材料メーカーへ行ってきたのだが、かなり仕事した感じ。疲れた〜。
帰宅してから、新鷹会の仕事を始めた。「大衆文芸」に掲載する短編やエッセイ原稿を集める来年の計画や、来月の忘年会の開催について、電子メールを送ったり、インターネットを通じていない会員へは郵便で送る用意をしたのだ。返信用のはがきも必要で、午後11時にコンビニまではがきと切手を買いに行った。封書は全部で12通用意した。送った電子メールはたーくさん。
すべて終了したのが午前2時過ぎだった。最後に、伊東先生まで報告のファックスを、執筆マシンのパソコンから送った。
就寝は午前2時半。
明日は起きられるかな。生きていたとして。
11月17日(木)「首が痛い・・・の風さん」
これまでの無理がたたったのか、一日中首と左ひざが痛かった。
特に首は痛くて右側へ回すことができない。ミッシェルの運転に大いに支障となった。
帰宅したら中3の次女が実力テストの結果を持ってきた。前回より全科目成績が下がっていた。約束により、ケータイの使用禁止である。受験生が何やっているのだ!
ここまで書き終わって、もう午前1時である。
今日も一日死なずにすんだ・・・か。
11月19日(土)「若い風さん、深夜族に逆戻りの巻」
木曜の朝から痛い首が、8時間寝た今朝もひどく痛い。これでは仕事ができないと判断して、整形外科へ行くことにした。
朝食を食べて11時前にミッシェルで出発。左折時に右側の安全を首だけ曲げて確認できないので、本当に困る。とはいえ、秋晴れの空に下、ミッシェルで軽快に突っ走った。
病院は大混雑。受験生がインフルエンザの予防注射を打ちに来ているのだ。
いちおう本を持参しているので、待つのは平気。
診察の結果、頚椎症との関連ははっきりせず。とりあえず痛み止めの注射を打ってもらった。
午後1時前に帰宅できたので、ロスタイムは約2時間か。
昼食にカレーを温めて、軽く1杯。
いよいよ長編の第3稿に着手。すっかり中身を忘れているので、印刷した原稿を読みながら、修正箇所を赤ペンで記入していく。最初から直しにかかると、最後まで行かずに終わってしまうので、とにかく明日までに最後までたどり着くのが目標だ。・・・とカッコいいこと言っても、やはり時間がかかる。首の痛みは我慢できるくらいになっているので、徹夜することにした。昔は平気でやっていた徹夜だが、年を取るうちにだんだん出来なくなってきた。それが、最近止むを得ず徹夜するようになり、意外と簡単に徹夜態勢に入れるから不思議だ。
11月20日(日)「収穫の秋?・・・の風さん」
結局、今朝の7時にダウンして、ベッドにもぐりこんだ。ところが、体が冷えていて熟睡できない。うつらうつらしながら9時半に起床(・・・と言えるかな)。
また長い1日が始まった。
それでも、600枚原稿の最後にたどり着いたのが、午後6時である。やれやれ。
これで、第3稿を出せそうな気がしてきた。
ここで話は変わって「マ・メール」の話。ジャックと豆の木のように天までとどけ、と育てたやつが、とうとう実を結んだ。・・・ところが、緑色のソラマメみたいなやつだったのに、小豆みたいな豆が収穫された。数は増えたが、粒がひと回り小さくなった。こいつの表面にマジックか何かで落書きして植えれば、またメールの芽が出るのかな。
←それにしてもひどい写真だ。
11月21日(月)「タラバガニとの生死をかけた戦い?・・・の風さん」
元気はつらつ、1週間が始まった。今週もがんばんべえ、と飛び起きたが、何となく体調がおかしい。痛い。どこが? 首? 首はいつも痛い。今朝は、喉も痛い、のだ。
こういうときはできるだけ喋らない方がいいのだが、仕事柄、べらべら喋ってしまう。どんどん喉の痛みがひどくなって、昼休みにのど飴を買って、ず〜っとなめていたが、次第に頭まで痛くなってきた。顔のほてりも感じる! わー、もしかして風邪?
今夜は北海道から届いたタラバガニを家族でたいらげる予定だったので、早く帰宅しなければならなかった。しかし、こういうときに限って、障害は次々に襲ってくる。ただでさえ喉が痛くて仕事の効率が落ちていたのに・・・。
結局、予定よりも1時間も遅れて帰宅。
巨大なタラバガニ(旅行に行った義父と義妹が送ってくれた)は既に家族の餌食になっていたが、私の体調は最悪つまり食欲が減退していた。それでも食い意地というか生存本能のなせるがまま、生まれて初めてと思われる巨大な蟹に食らいついていった。
しかし、何とか腹いっぱい胃袋に押し込むまでが精一杯。
恐る恐る体温計を腋にはさんでみたら、ぎょぎょー、37.2度。平熱が低い私にとっては立派な発熱である。風邪薬を飲んで、さっさと11時には就寝してしまった。死ぬる〜!
11月22日(火)「これが病人の1日か・・・の風さん」
朝までに2回くらい目覚めてしまった。喉が痛くて死にそうだった。最後はトローチをくわえたまま寝ていた。
ワイフはトールペインティングの講習会に参加するため、早朝から大阪へ出かけていて不在。
結局、私は12時に起きた。
本当は、今日は和歌山まで出張する予定だった。久しぶりの他社工場見学で楽しみにしていたのだが、もし無理して出かけていたとしたら、今頃は和歌山でぶっ倒れていただろう。しかし、残念だった。
それでも何とか布団から抜け出すだけの元気はあったので、階下へ降りて何か食べよう・・・と思ったら、長男がサンルームでパソコンをやっている! だいたい、こいつは風邪のために昨日早引けしてきたのだ。つまり、私とよく似た状況だったのだ。なのに、どうして学校を休んでパソコンをやってるの? もしかして、最初の感染源はこいつで、私にうつしたものだから、私よりも先に回復しているのでは?
自分で作った鍋焼きうどんを食べていたら、自室に引っ込んだ長男が再びやってきて、石油ストーブのスイッチをいきなり切った。
「お母さんから、石油がないからストーブは消しなさいって」
にゃにい〜? わしは風邪ひいとるんだぞぅ。
喉はまだ痛いが、頭痛はかなりおさまっている。これなら熱は下がっているだろうと、体温計を腋にはさんでみた。36.7度。よしよし。
屋外は春のような陽気だったので、石油ストーブ専用のタンクに石油を2缶補給した。
玄関のドアの閉まり具合が悪かったので、CRC556を使って滑らかにした。
書斎に入って、昨夜やるつもりでできなかった手紙を書いた。
夕方から病院に出かけた。喉の薬をもらわないと死ぬ。
今日も病院はすごい混雑だった。長寿の国の病院の実態は、患者であふれ返っている。
2時間もかかったが、美しい女医さんに診てもらったので、じきに治るだろう!(おい^^;)
帰りに、さっき書いた郵便を投函し、うちのファックスのペーパーが切れかけていたので、ファックス・ロール紙を購入した。
帰宅して、ファックスのロール紙を交換し、喪中葉書の用意を始めた。これも、昨夜やる予定だったもの。
そのうちワイフが帰ってきたので、駅まで迎えに行き、・・・。
夕食後、喪中葉書を印刷している間に、グッドタイミングでファックスが入った。
新鷹会の伊東先生からで、15日に提出した短編小説の書き直し命令であった。
はてさて、今日の私は、病気で出張を中止してしまったところから始まったのだったが、・・・。
11月24日(木)「痛い痛い・・・の風さん」
昨日は病院でもらった薬が効いたらしく、出社もできたし、仕事もそこそこやれた・・・と胸を張れるほどではなかったけれど。とにかく本社に出張して会議に出席し、今日の出張のための新幹線の座席指定も取り、月に1度の血圧経過観察も受診し(問題なかった)、(実は歩き回っていると足元がフラフラしていたのは事実だが)、1日を無事に過ごすことができ、おまけに帰宅してから喪中葉書だって印刷完了できたし、手紙も2通書いたのだ。
それで、今朝は元気いっぱい出張に出かけた・・・はずだった。
が、散々な1日だった。
まず、最寄の駅に特急に乗るために歩いて行った(ワイフがゴミ出し当番で送ってくれなかった)。ところが、駅に着いて愕然とした。私が想定した電車は、休日ダイヤだったのだ! これで、名古屋駅発の新幹線(昨日座席指定を取った)には絶対に間に合わないと思われた。
しかし、悪運の強い風さんは、予定より3分遅い普通電車に乗ったのだが、ナントあとの駅で特急に乗り換えることができたのだ! おかげで、名古屋駅で、火曜日に使わなかった切符(出張の)の払い戻しもできた。
行きの新幹線では、持参した海外ミステリの速読に挑戦し、半分ほど読破した。これは計画通り。ところが、東京に着いてから、重大なミスに気が付いた。火曜日に病院でもらった抗生物質などの薬を持ってくるのを忘れたのである。せっかく体調が戻っているのに、先行きに不安の黒雲が・・・。
午後、国分寺から新横浜と渡り歩いて仕事をこなした私は、ようやく午後8時前に家路につくことにしたのだが、体中の節々の激痛と顔のほてりと頭痛を感じ出したのだ。節々の痛みは、抗生物質で抑えていたウィルスが再び体内で暴れ出したことを示している。病院の薬だけでなく、普段持ち歩いている薬もないので、全くお手上げ。新幹線のシートに体を貼り付けて、じっと目をつぶり、激痛に耐えるしかなかった。
それでも、予定より1本早い新幹線に乗れたので、自宅には午後10時20分頃に着いた。
ワイフに勧められるままヨーグルトを食べて、それから好きなCCレモンで薬を飲み込んで、ベッドに直行した。
体を横たえたら、節々の痛みに加えて、胃の中で発泡したヨーグルトの圧力で激しい腹痛が襲ってきた。
11月25日(金)「同僚の訃報・・・の風さん」
とても出社できまいと思って昨夜はベッドに倒れ込んだのに、朝になったら目が覚めた(笑)。
会社の仕事が山のようにたまっているので、少し遅刻したが、ミッシェルで出社した。途中で具合が悪くなったら、早退して病院へ行けばいいのだ。
信じられないほど働いてしまった。
よく倒れなかったものだ。
しかし、今日は驚くべき知らせがあった。よく一緒に仕事をした会社の同僚が昨日亡くなったという。まだ53歳の若さだった。3年前に直腸がんが発見されて手術し、回復したと思われたが、骨に転移し、放射線治療をしている間に肺にも転移していたことが判明したらしい。今年の6月から入院していたそうだが、全く知らなかった。
社内メールがわんさと来て、常に直近3ヶ月で1500件ほどの未読メールを抱えている私なので、この知らせは直接電話であった。もし電話がなければ、・・・そしてさらに私が途中で具合が悪くなっていたら、帰宅するまでメールをチェックすることもなく、来週まで知らない、ということもあり得た。
同僚は装置設計に携わってきた人で、私のような計画者の無理に、嫌な顔ひとつせず(と言うより、笑顔すら浮かべて前向きに)取り組んできた、とても頼りになる人だった。
今夜が通夜で、明日が本葬である。
今夜から私の職場では旅行に行くことになっていた。しかし、これは私の体調不良のために参加をドタキャンした(カンパまでしたので、けっこうな損失が生じたが仕方ない)。
定時後、部下たちが旅行に出発した後まで仕事をしてしまったので、通夜には出席できなかった。
同僚の死が衝撃だったせいか、自分の体調不良を忘れてしまい、午前1時に就寝したが、なかなか眠れなかった。
11月26日(土)「平凡な1日・・・の風さん」
朝からどうも気分が晴れなかった。それもそうだろう。同僚の死は重い。
自宅から葬儀場までは片道46kmほどあった。頼りになるミッシェルで出発。天気は晴朗で、ミッシェルのエンジンも好調だが、ハンドルを握るドライバーの気分はやや沈鬱だった。
開始時刻の30分前に着いた。
こういった勤務先関連の葬儀に参列すると、懐かしい顔と出会う。しかし、亡くなったのが、同僚だから、久闊(きゅうかつ)を叙(じょ)している場合ではないのが悲しい。
本当に同僚の死を悲しむ会社の仲間たちの姿を目の当たりにして、私はいつも心打たれる。
出棺の時刻となって、目の前を親族が担ぐ棺おけが運ばれていった。最後の別れだ。故人の独特の笑い声が聞こえた気がした。豪快な笑い声だった。合掌。
帰宅後、ワイフと近所の喫茶店まで「ちぎり絵展」を鑑賞に行った。趣味とはいえ、かなりのレベルの作品が並んでいる。こういうことに精魂を傾けている人たちの心情が、わたしはとてもいとおしい。それは、同僚の葬儀に参列した後だからよけいそう感じるのだろうか。
その後、買い物に付き合い、さらに日が落ちたので、団地内のイルミネーションに力を入れている(そうなのだ、もうすぐクリスマスのシーズンである!)家を見学してからやっと家に戻った。
ワイフと一緒に行動していると、頻繁にケータイにメールが入っている。これでは娘たちと一緒!
ワイフとよくある会話。
「Sさんから、この間はお嬢さんと一緒にフランス料理を食べに行くところだったのでしょう? と言われちゃった」
「ああ、今月3日の話ね。でも、どうして、Sさんは知ったのだろう?」
「Hさんから聞いたんだって」
「どういう意味?????」
「HさんはSさんのトールの生徒なの。Hさんは気まぐれ日記を読んでいるから、それで話したらしいのよ。私の知り合いは私よりもうちのことをよく知っているので驚くわ」
「それじゃ、ぼくを大切にしないといけないわけだ」
「私、怒ると怖いわよ」
形勢不利と見たわたしは、書斎にこもって、2005ミステリーベストテンのアンケート回答と寸評を書いて、「週刊文春」編集部へメール送信した。
05年12月はここ
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